Sep.14, 2005

ところで、これは現実か?

[Diary]

トラックバックの動作試験に知人のweblogを使うのは如何なものか>私

カッとなってやった。今では反省している。…とまあ、冗談はさておき。

トラックバック先のさらにトラックバックだけど、私もちょっと考えてみようと思ったわけです。

「ゲーム」と「現実」の違いを考察してください。
※「ゲーム」が意味するものは、MMOをはじめとする技術的に可能であろう擬似世界です。
※「価値」「感覚」「コミュニケーション」「リアリティ」「制限」等のキーワードを含んでいるとよりよいです。

質問に従って私が定義するなら、このようになりますか。

ゲーム
存在するために依存しているリソースを観測できる系(システム)
現実
存在するために依存しているリソースを観測できない系(システム)

系(システム)の中に法則(≒制限)が規定され、その下で感覚を得、行為するという点で、ゲームと現実に違いはありません。少なくとも、質問の定義である「技術的に可能であろう」という言葉を無制限に解釈すれば、現実に限りなく近いゲームも、現実と全く異なるゲームも構築可能でしょう。「現実自体、ゲームの一バリエーションに過ぎない」という言い方すら可能かも。

だから両者の唯一の違いは、そのシステムが存在するために依存しているリソースを観測できるか否か、その一点にあると思うわけです。しかし、そのためには、観測者は必ずゲームの外側に存在していなければならない。ゲームの内側から、それがゲームであることを証明することは不可能だからです。

擬似世界≒エミュレーションと考えれば、こういう例えになります。こんなコンピュータを考えてみて下さい。

(現実)<------------------------------>(ゲーム)
[ハードウェア(PC)] -> [仮想PC(VirtualPC)] -> [OS(Windows)] -> [アプリケーション(GAME)]

あるアプリケーション(ゲーム)の中で、現実と全く同等のことができるとします。では、それは現実か?

OS側から見れば、アプリケーションは自身の中で動くプログラムであることが解っており、それが依存するリソース(メモリ空間等)まで把握しているわけですから、ゲームであると言えます。

しかし、アプリケーションの中から、自身が「ゲームである」(≒現実でない)ことを証明することは不可能です。現実でないとすれば、それは何かに依存して存在しているはずですが、それを内部から観測しようとしても、それは全て外部から欺瞞が可能だからです。

同様に、PC上に存在するOSが、PCの実体を観測することはできません。それが仮想PCなのか、PCの実体なのかをOSが知ろうとしても、その手段は全て欺瞞可能です。

となると、このハードが存在している現実(現世)というのも、何か仮想現実の一部ではないのか?その可能性はあります。そして、それをこの世界から観測し、証明する方法はありません(仮に試みても、その結果が外部から欺瞞されたものである可能性を決して排除できない)。

だから、「存在のために依存するリソースを観測できる」ものが「ゲームである」ことは言えるけれども、「存在のために依存するリソースを観測できない」ものが「現実である(=ゲームではない)」というのは、あくまでも「現在は現実であると推定される」としか言えないと思うわけです。「推定」というのは「反証があれば覆る」ものですが、つまり現実の確かさというのはその程度のものではないかと。

こうした「階層化された(あるいは入れ子になった)現実(そこには現実と推定された仮想現実も含まれる)」というものは、映像から文学に至るまで、わりとポピュラーなテーマなんではないでしょうか。

ああ、ある日突然「現実」に目覚めて、昨日まで現実だと思っていた仮想現実をリセットしたいなぁ(笑)。
# そして目覚めた先の現実で同じ事を考える堂々巡り

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