俺と薔薇乙女と懐中時計
本記事は、2005年初頭に書いたものを加筆修正したものです。
2004年秋。何気なく見ていた深夜番組に何か見覚えのあるものが。
あ、俺の時計。
それがきっかけで番組を見るようになりました(本末転倒ですねー)。これが存外に面白くて、気が付いたら最終回まで見てしまったり。
というわけで、そのきっかけとなった時計についてご説明致しましょう。
気に入ったものに関わりがあるとなれば、こうした小道具にも興味は湧くもの。アニメの方が好きで見ていた方にとっても、ちょっとしたムダ知識として参考になれば幸いです。
Notice ―― おことわり
解説に先立って、次の点をお断りしておきます。
まず、ここで解説する仕様等の推測はあくまで一般的な製品から導くもので、オーダーメイド、カスタムメイドといったワンオフの特殊仕様は考慮しきれていません。
また、所詮はワンシーンの背景画に描かれた小道具に過ぎないもののお話であって、多少の突っ込みはあったとしても、それは作品そのものの批判を意味しません。所詮は野暮な突っ込み、あるいはムダ知識のこぼれ話であることをくれぐれも忘れないで下さい。
なお、決して嘘を書くつもりはありませんが、内容の正確さについての保証まではできかねるので、ご理解の上でお読みください(間違い等があれば、指摘して戴ければ幸いです)。
部品名など、時計関連用語についての詳細な説明は省いています。興味があれば調べて頂くのも一興ですが、リクエストがあれば、コメントや他記事等でフォローできるかもしれません。
Guessing the Specification ―― 推定される仕様
さて、いきなり答えから言ってしまうと、この時計の仕様はだいたい次の通りと推定されます。
- ムーブメント
- ウォルサム ヴァンガード
16サイズ(モデル1899 or 1908、ハンターケース仕様)、オルソンレギュレータ、19~23石 - 製造年代
- 1899年~191x(?)
- ケース
- イエローゴールド金無垢or金張り、オープンフェイス、スクリューバック
- 特記事項
- サイドワインダー
それでは、各項目ごとにその推定の根拠を挙げていきましょう。
ムーブメント
私が持っている現物と並べてみてみると、ムーブメントに限ってはほぼ同一といって良いほど共通点が多いのがお解りいただけると思います。
グレード名の刻印も合致することから、アメリカのウォルサム社製、ヴァンガード(モデル1899または1908)のハンターケース用(オープンフェイス用の機械とは一部歯車の配置が異なる)である点はほぼ断言して良いと思われます。
サイズは、アメリカ懐中時計の規格にある16サイズ(43.18mm)。これはムーブメントの地板の直径で、ケースまで含めた実際の大きさは(ケースにもよりますが)大体50mm程度になります。
次に、軸受けなどの動作部分に使われている宝石の数(石数)ですが、グレード名の上にある刻印(xx JEWELS)が解れば疑問の余地はないのですが、絵では隠れてしまっているので他の部分から推定するしかありません。
この場合の石数判別のポイントは、ガンギ車の伏せ石です。これがあれば21または23石、なければ17または19石と推定できます。さて、絵の方はというとガンギ車の軸が見えており、伏せ石はないように見えます。17石と19石の差は、香箱の中に石が用いられているかどうかなので、本来外見から判別することはできません。しかし、モデル1899以降のヴァンガードは実は19石からのラインナップになっている(*1)ので、この場合、17石の可能性は除外できます。よって、石数については19石と推定されます(ただ、あまり厳密に描かれた絵ではないので、21,23Jであっても間違いではないでしょう)。
また、レギュレータ(微動緩急調整装置)の形状にも特徴があります。ウォルサムの場合、この部分に自社のパテントである星型のレギュレータを用いることが多いのですが、これはオルソンレギュレータ(*2)を備えています。
"COMPLETE PRICE GUIDE TO WATCHES"の記載より。
*2."Ohlson's patented micrometer regurator"と呼ばれる("Ohlson"は特許を考案した人間の名前と思われる)。スワンネックに似ているが、異なるもの。スワンネックは左右非対称で優美な形状が白鳥の首(swan neck)に似ているが、オルソンレギュレータは、スワンネックというより眼鏡型とでもいうべき形状をしている。
製造年代
モデル1899の製造開始年は1899年で、私の持つ実物の機械は1913年製。ここまでの範囲なら間違いはありませんが、あとはこの仕様での製造が何年まで続いたかが問題になります。特に面倒なのがシャトン(穴石や伏せ石を留める金属の環)の留めネジで、同年代の同モデルでも留めネジあり/なしの両仕様が存在します。
傾向としては、1920年頃を境にシャトンの留めネジが段階的に省略(二番車のみ、等)されていき、最後にはシャトン自体が廃止されて単なる圧入になっていきます。
確認したサンプルが少ないので断言はできませんが、1920年代に入るあたりからシャトンの留めネジが省略され始めたと推定すると、製造年代は概ね1899~1920年頃までの約二十年間、といったところではないでしょうか。
ケース
金色に見えるので、イエローゴールド(*1)。ただ、絵の色から純度を判断するのは困難です。また、金無垢か金張りかも、ケース裏側の刻印を見ないと判断できません(*2)。
形状については、蓋を留めるヒンジらしきものが全く見当たらない(ハイドヒンジと呼ばれる隠しヒンジでも、僅かながら痕跡はある)点から、オープンフェイスのケースと断言していいでしょう。
裏蓋は完全に取り外すことができる、圧入かスクリューバックのどちらか。一応、手前の段差がネジ山のように見えなくもないので、スクリューバックと考えて良いのではないでしょうか。
金に配合する金属(銀、銅、ニッケル等)によって色合いが変化する。イエローゴールドの他、ピンクゴールド、ホワイトゴールド、グリーンゴールドなどがある。
*2.金張りとは、数十ミクロン程度の金の板(これでも鍍金よりははるかに厚い)を地金に溶着したもの。この時代の時計ケースの場合、9金張り、10金張り、14金張り、14金無垢、18金無垢あたりがポピュラー。材質と構造は、通常ケース裏に刻印されている。
特記事項(サイドワインダーとは?)
サイドワインダーとは、オープンフェイスでありながら文字盤に対して3時位置に竜頭を持つもののことです(別にヘビやミサイルとは関係なく、側面(side)でゼンマイを巻く(wind)ため)。
実は、この形態はイレギュラーであったりします。
何故こうなるかというと、本来ハンターケース用であるはずのムーブメントをオープンフェイスのケースに入れているためです。
この時代の懐中時計のほとんどは秒針がスモールセコンドであり、かつ、(オープン、ハンターを問わず)スモールセコンドは6時位置に来るように作られています。このため、本来はケースに合わせて竜頭とスモールセコンドの位置関係が固定されることになります。
オープンフェイスの場合、竜頭の位置は普通12時。これに対してハンターケースは通常3時です(この違いは、単に紐なり鎖なりで提げて時間を見るオープンフェイスと、手に取って竜頭を押し込み蓋を開けるハンターケースという、使用法の違いからくる)。ところが、ケースとムーブメントの仕様が一致しないと、サイドワインダーのように少々ちぐはぐな形態が生まれることになります。
しかし、所詮は人間が作るもの。特殊な文字盤もないわけではなく、そうしたものと組み合わせれば「オープンフェイスにハンターケース用ムーブメント、しかし竜頭は12時位置」という時計にすること自体は可能です(ただし、今度はスモールセコンドが3時位置に来ますが…)。
Inelegant criticism ―― ちょっと野暮な間違い探し
この辺はアラ探しに近いので、あまり細かく突付くのもどうかと思いますが(汗)、実物を持っていると気になる点に一応触れておきます。
二番受けなどの綾織模様が省略されているのは作画の都合かもしれないし、"Vanguard Waltham Mass"のレターが似て非なるものになっているのは何らかの権利関係に配慮があるのかもしれないので、さておき。
手描きのイラストであることを割り引いても、さすがにこいつは間違い、という点は何点かあります。
- テンプのヒゲゼンマイが完全に省略されている
- やはり、作画の都合なのでしょうか。しかし、これがないと時計は絶対動かないのです(もっとも、時計に欠けても良い部品などありはしませんが…)。
- テンプが四番車の下にある
- 解像度的に少々苦しいですが、実物とイラストの緑丸部分を見てみると、実物では二番車と四番車の間にあるテンプが、イラストでは四番車のさらに下に入り込んでしまっています。この位置関係だと動かないか、えらく嵩高な機械になってしまいます。
- テンプ受けから得体の知れない枝が生え、テンプを斜めに貫いている
- これはさすがに間違いです。実物とイラストの赤丸部分を見比べてみると、どうもテンプ受けにあるヒゲ持ちとテンプのアームが融合してしまったようです。
- その他
- 二本一組の緩急針が一本しか描かれていないとか、二番車の軸付近が妙だとか…。
上記の間違いから考えると、あくまで外見をスケッチしただけで、構造を理解して描かれたものではないようです。
しかし、最初にお断りした通り、所詮はワンシーンの背景。細かいツッコミは野暮というものでしょう。「あれはアメリカンウォルサムのヴァンガード」程度で十分ではないでしょうか。
なお、余談ながら、作中でも懐中時計が登場するシーンがありますが、今回触れたエンディングクレジットの機械とは全くの別物です。
作中のものは中三針なので、そもそも機構が違います(四番車に直接秒針を接続するスモールセコンドと違い、中心にある秒針に対して動力を供給する歯車が必要になる)。また、サイズの対比からしても16サイズの時計ではないだろうし、ケースにしてもオープンフェイスとハンターケースという違いがありますし、ペンダント周り、竜頭の形も違います。
さらに原作の漫画では…ケースの開き方がまんま(化粧道具の)コンパクトΣ( ̄□ ̄;
まぁ、時計は所詮人間の作るものですから…(以下略)
第二期ではもう少し大きい絵で動いていました。そこから読み取れる特徴は次の通り。
- ドールサイズなのでかなり小さい。アメリカなら0サイズ近辺?
- 金ハンターケース
- 中三針(龍頭12時)
- ステップ運針
- ローマンインデックス
えーと、金メッキケースのミニ懐中、ムーブメントはクオーツってことで。ああっ、石を投げないで下さい(笑)
実際それが一番手っ取り早い解なんですが、機械式のアンティークであることを前提にすると、ステップ運針というのがちょっと特殊です。これは、デテントやデュプレックスのようなステップ運針をする脱進機を備えているか、5ビート毎に秒針を一秒動かす輪列を備えているかのどちらか。サイズを考慮すると、後者の可能性が高くなるのではないでしょうか。
こうした要素を備えたアンティーク時計は、存在してもおかしくはないかもしれませんが、実在するかどうかは神のみぞ知る、といったところのようです。
どうでもいいけど、龍頭が12位置にあるハンターケースって非常に使い勝手が悪そうなのですが…。いいのかな。
What the PocketWatch symbolizes... ―― 時計が象徴するもの
以上が、「物」として見たこの懐中時計の解説です。
では、「もの」として見た場合はどうか。つまり、このシーンに用いられている意味とは何でしょうか?及ばぬながら、自分なりに考えてみましょう。
普通に考えれば、時計はまず「時」の象徴です。しかし、それが裏返しに置かれており、時刻を確かめることができません。つまり、これが象徴しようとしているものには「時」以外にも何かあると考えるのが自然でしょう。
まず、機構が剥き出しにされていることから連想されるのが、精密機械としての側面でしょう。(その方面の趣味を持つ者にとってはシンプル極まりないものですが)精緻を極めた「からくり」は、一種の神秘性を象徴しているのではないでしょうか。「デウス・エクス・マキナ」(*1)とまで行くと大げさしれませんが。
そしてもう一つ、手巻きであり、人がゼンマイを巻かなければ動くことのできないという事実が示す、人との絆の象徴。そうした要素と、「時を刻む」「生きてゆく」というイメージが結びついてこの背景を飾っているのだと私は考えます。
丁度、原作の漫画にそうしたイメージを重ねられるフレーズがあったので、ここに引用しておきましょう。
繰り返される 眠りと目覚め
幾多の出会いと 別れを抱いて
記憶のヴェールは 花びらのように重なり
時を巡り 人を巡り 咲き誇る
私達は 薔薇乙女――
本来の意味は、錯綜して解決困難な局面をいきなり現れた神が絶対的な力で収束させるという劇手法(しばしば機械仕掛けの舞台装置で登場したため)。転じて、ご都合主義とか投げっ放しなオチとも。しかし、ここではSFなどでしばしば用いられるような、字面通りの「機械仕掛けの神」「究極の機械」としての表現と考えて頂きたい。
Conclusion ―― おわりに
以上、たまたま所有していた実物をもとに解説させて頂きました。私が時計をきっかけにアニメを見始めたように、このアニメをきっかけに懐中時計を愛好するようになる方がもしいたら嬉しいですね(*1)。「私も欲しい!(*2)」など、気になることがあったら是非御相談ください(^^)。
しかし、少々疑問は残ります。
この作品、キャラクタ(人形)の意匠は欧風を指向している(ゴシック、と言っていいものなのだろうか?この辺は詳しくないので自信がありません)ように見えます。だから、同じ懐中時計でも欧州のアンティークと組み合わされてもおかしくはないのです。そこに敢えて20世紀初頭のアメリカ懐中時計が組み合わされている点は興味深いといえます(ちなみに作中、「○○万…時間ぶり」という台詞がありますが、計算すると70年に満たないため、2000年から差し引いても時計の製造年代とは少々隔たりがあります。当時でも現役には違いないので、矛盾まではしませんが)。
単なる偶然かも知れないし、構造上ムーブメントをアピールし辛い欧州のアンティーク(1800年代以前のものや出テンプ、3/4プレートの機械など)に比べて蓋を開けるだけでムーブメントの機能美を愉しめるアメリカ懐中時計の方が絵になると判断されたのかも知れません(ただ、そうした機械は欧州にももちろんありますので…)。ともあれ、ここは素直に自分が愛好する機械が登場している機会を喜びたいと思います。
2005年秋からは続編が始まるようですが、また懐中時計が出てきたらいいなぁ……(いや、私自身、偶然は二度も続かないと思いますが(笑))。(2006/2/1追記:やっぱり出ませんでした(笑)。ついでに言えば内容もちょっと消化不良気味……残念)
お金も結構かかるので、そうそうないとは思うが……と思いきや、今までに私の友人知人が三人ばかり、「こちら」の世界に足を踏み入れたり(笑)。
*2.ただし、その仕様の特殊さ故、見た目通りに全く同一の機械というのはあり得ない…とは言わないまでも、なかなかお目にかかる機会はないだろう。機械だけ、ケースだけ、と別々に手に入れたものを組み合わせてどうにかなるかどうか(機械にもケースにも個体差があり、サイズさえ同じなら必ず交換できるかというとそうでもないのがまた厄介なところ)。
往時のアメリカにおいて最大の生産数を誇ったウォルサム社の製品ではあるが、さすがに欲しいと思って金さえ積めば手に入る、というものでもないようだ。ま、そこもアンティークの魅力のうち、ということで。