Hamilton Grade 950
「鉄道時計」というと、どんなイメージを想像されるでしょうか。日本の場合は、制服に身を包んだ車掌さんが取り出す銀色の時計、あるいは電車の運転台に置かれた懐中時計を思い浮かべる方が多いと思います。
日本においては地味な印象の強い鉄道時計(実際、その外装や文字盤は味気ないくらいに質素です)。しかし、往時のアメリカにおける鉄道時計は、まさに豪華絢爛といった様相を呈していました。
今回は、その黄金時代を感じさせる一品をご紹介しましょう。
Overview ―― アメリカ鉄道時計を代表する名機

私とは人生の半分以上の付き合いになる(笑)畏友さら丼をお店に連れて行き、物欲の秘孔を突いたところ目出度くお買い上げになった一品です。
製造元のハミルトン社は、往時のアメリカにおいても名の通ったメーカーで、鉄道時計で培ったその品質には定評がありました。ミリタリーに興味のある人には、ハミルトンという名前から「軍用時計」という言葉をを連想するかもしれません。これは、鉄道時計でその評価を確固たる ものにした同社が、後にアメリカ軍の要請により(民間向けの生産を止めてまで)軍用時計を大々的に生産したことによるものです。
ちなみに、映画「MIB」でウィル・スミスやトミー・リー・ジョーンズが身に着けていた腕時計「ベンチュラ」もハミルトン製。スイスに移転したことでアメリカ時計メーカーとしての歴史は既に終わっていますが、その名前は今なお残っています。
今回のグレード950(「グレード」は省略され、単に「950」と呼ばれるケースが多い。以降本稿でも950と表記)は、ハミルトンの公認鉄道時計の中でも最上級のグレードであり、ハミルトンの懐中時計を代表する名機の一つとも言われています。中でも、今回紹介する950は、日常生活での使い勝手のために一部の仕様が規定と異なる"RailRoad Grade"ではなく、全ての面でその基準を満たす、正真正銘の"RailRoad Approved"の懐中時計です。
RailRoad Approved Watches ―― アメリカ鉄道時計の条件
少々横道にそれますが、ここでアメリカの鉄道時計規格について簡単に触れておきましょう。
…とはいえ、時代や鉄道会社によって微妙な違いもあるし、その歴史を辿ればそれだけで別の記事になってしまうので、ここでは1900年代初頭に広く用いられていたとされる内容を挙げるに留めます。
- アメリカ製の18または16サイズであること。
- 17石以上であること。
- 温度調整を施していること。
- 5姿勢(立てた状態での竜頭上、竜頭右、竜頭左と、平置きでの文字盤上、文字盤下)調整を施していること(これを含む5姿勢以上の調整品も可)。
- レバーセットであること。
- 一週間の誤差が30秒以内であること。
- 次の機構を備えること。
- ダブルローラー
- 特許を取得した微動緩急調整装置
- 鋼製のガンギ車
- 平坦で、次の要素を備える白地の文字盤(銀メッキでも可)
- 黒いアラビア数字による時表示
- 分単位の識別を可能とする表示
- オープンフェイスであること。
- 竜頭を12時位置に持つこと(他の条件を満たすならば、ハンターケース用ムーブメントをオープンフェイスのケースに収めたもの(スモールセコンドが3時位置にある)でも可)。
(ここでは触れていませんが)特徴的なのは、この規格は単に機構や仕様を規定するだけでなく、時間合わせの基準や規則、検査や整備・調整といった運用面までを網羅していたことです。
単に精度を追求するならスイスのクロノメータ規格や各メーカーの精度基準などもありますが、個人の満足ではなく、あくまでも鉄道の運行の要である時間の正確さを確保するためのシステムだったという意味で、この規格は決定的に異なるものであったと言えるでしょう。
それでは、この規格を満たすだけの徹底的な実用性を備えながら、それでいて絢爛とさえ言える美しさまで備えた逸品を、普段はあまり目にすることのない部品の細部まで御覧ください。
Outside ―― シンプルかつ豪華な金無垢時計
それでは、各部を詳しくご紹介いたしましょう。
ケース
ケースは14金無垢のオープンフェイスです。
オープンフェイスであることは公認鉄道時計の条件なので当然としても、金張りでなく金無垢のケースが使われているところに、そのグレードの高さの一端が垣間見えます。
鉄道時計は鉄道員自身の持ち物として買い取る必要があったためか、そのケースには金張りが圧倒的に多くなっています(例えば、イリノイの代表的な鉄道時計"Bunn Special"にしても、そのオリジナルケースは金張り)。そこに敢えて金無垢を用いることは、相応のハイグレードな機械が納められている証左とも言えるでしょう。
ケースは幾分小ぶりながら非常にしっかりとした造りで、道具無しには開けるのも一苦労なほどです。
時刻合わせは、これまた公認鉄道時計の条件であるレバーセットと呼ばれる方式で行います。
今日の時計では、ゼンマイの巻上げと時刻合わせを竜頭の押し引きで切り替えて行うペンダントセットが圧倒的に多いのですが、レバーセットではわざわざベゼル(風防)を開け、11時あるいは1時(オープンフェイスの場合。ハンターケースでは5時付近が多い)付近にあるレバーを引き出して初めて竜頭による時間合わせ が可能となります。
敢えて手間のかかるこの方式を公認の条件にしているのは、ひとえに誤作動防止のためです。ここまでしないと時間を合わせられないということは、裏を返せばちょっとやそっとで針を動かしてしまう可能性を排除できるということでもあります。
レバーセットの時刻合わせ自体は確かに面倒ですが、鉄道時計としての精度が出ているならば、時刻合わせの頻度自体はそれほど多くはないでしょう(ただし、不精でゼンマイを巻き忘れて止まってしまった場合はご愁傷様(笑))
文字盤
文字盤には鉄道時計の規格に則り、太いアラビア数字が用いられています。外周の分表示は五分単位となっています。
文字盤の造りは、ポーセリンのパーツを張り合わせたダブルサンク。プレスや削り出しでは出すことの出来ない、くっきりとした内外の段差がその外見を引き締めています。
このような手描きの陶製文字板は、一説にはその歩留まりが半分にも満たないと言われるほど手の込んだもので、現在では新たに作ろうとしてもコストがかかり過ぎてまず無理だと言われています(*1)。また、一度入ったヒビや欠けを完璧に修復するのもほぼ不可能なため、瑕もなく現在まで生き残ってきたものは貴重だといえます。
裏側の足の位置が若干偏っていますが、この足の位置や高さ、さらにスモールセコンドの位置(=四番車の軸の位置)はメーカーや機種によってまちまちで、互換性はかなり低くなっています。同じメーカーの同サイズというだけでは合わない可能性も高く、それどころか、同一機種の間ですら製造時期によって異なる(*2)可能性があるほどです。
後年に製作されたレプリカや"Replacement Dial"などというものもあるが、アルミ等の金属板をプレスしたり切削したりしたものをペイントしただけで、その質感は到底オリジナルには及ばない。しかし、オークションの出品写真程度であれば、光の加減で誤魔化せることもあり、要注意のポイントとなる。
*2.ハミルトンの機械を例に取ると、製造時期によって足が4本のものと3本のものがある。
ムーブメント(概観)
ムーブメントは16サイズ(43.18mm)。細いブリッジと直線状のパターンによる仕上げが特徴的です。
この仕上げは、当時のハミルトンによる広告でも"White Gold Finished"と誇らしげに書かれており、ニッケル無垢とは一味違った絢爛たるな輝きを放っています。
ところが、まれに状態の悪い個体の中にはこの仕上げ部分が輝きを失い、石化したような色合いになっていることがあります。これは、整備の際に洗浄のため使われた薬品(*1)によって、表層が化学変化を起こしたためではないか、と言われています。
文字盤側は普段目にすることのない部分ですが、目の届かない部分にもしっかりとペルラージュ(鱗模様)調の仕上げが施されています。
近年ではベンジンを使って刷洗いや超音波洗浄器による洗浄を行うが、昔は26~28%程度の濃度を持つアンモニア水などが使われていた。一昔前だと、トリクロロエチレンなどという物騒な(発ガン性が指摘されている)薬品を使うケースもあったらしい。
ムーブメント(石の配置)
950は23石のムーブメントで、主要な駆動部の軸受け全てに宝石を配しています。のみならず、テンプの他、アンクル、ガンギ車といった高速で動く部分には穴石(軸受け)の他に受石も加え、抵抗の低減と平均化(*1)を図っています。石の留め方は、金製のシャトンを用いたゴールドジュエルセッティング。
この時計の特徴的な機構に、モーターバレル(回転香箱(*2))があります。
モーターバレルはこの時代ではアメリカ時計に独特の機構で、通常の香箱が香箱と香箱真に分かれるのに対し、モーターバレルでは香箱も他の歯車と同様に軸(ホゾ)を備え、地板や角穴車の軸受けに入る構造となります。
軸を備えることで、モーターバレルではより小さな接触面積で香箱を支えることができ、さらに軸受けに宝石を用いる(ジュエルド・モーターバレル)ことでその抵抗を減らし、スムースな動作を実現しているのです。
宝石が配された香箱としては香箱真を受けるために香箱側に宝石を配したジュエルドバレルもありますが、ジュエルド・モーターバレルは別のものです。(宝石の有無に関わらず)角穴車の軸受の有無を見ることで、通常の香箱とモーターバレルは区別することができます。
単純な摩擦抵抗の大小だけが問題なのではなく、姿勢によって軸受けにかかる重力が変わることで軸受けと軸の摩擦抵抗が変化してしまっても、精度を乱す原因となるため。
*2.「基礎時計読本」(グノモン社)では「ハミルトン式回転香箱」として紹介されているが、モーターバレル自体はハミルトン以外のメーカーにも数多く使われている。
ムーブメント(輪列)

ムーブメントの内部、テンプとアンクルを除いた香箱~ガンギ車までの輪列を一望します。
まず目に付くのは、金製の歯車。ゴールドトレインといっても金製なのは二番車だけで三番、四番は真鍮製であることは珍しくないのですが、この950では全て金製という豪華な仕様となっています。
テンプと並ぶ脱進機構の要であるアンクルにも軸受けの伏せ石や、偏芯ネジによって拘束角の微調整を可能としたバンキングピン(ドテピン)など、高精度を追求するための工夫が随所に凝らされています。
ムーブメント(テンプ)
テンプはバイメタルの切りテンプで、巻き上げヒゲ、ダブルローラー、ミーンタイムスクリューを備えています。これらの機構は、いずれも鉄道時計として認定されるための条件でもあります。
その後の技術開発によって、後に時計のヒゲゼンマイにはエリンバーやパラジウム合金、テンプにはベリリウム合金の一体型が用いられるようになりますが、950にはこれらを取り入れて一部仕様変更が施された950E、950Bがあります。
微動緩急調整装置はスワンネック型です。
Conclusion ―― まとめ
ハミルトンの16サイズ懐中時計の最高峰である950。その豪華絢爛な姿とは裏腹に、あくまでも鉄道時計としての実用性が貫かれた同機は、ハミルトン一社のみならず、アメリカ懐中時計全体をも代表しうる名機のひとつと言っても過言ではないでしょう。
16サイズでは、950の他に21石の992というベストセラー機もありますが(アメリカにおけるハミルトンの最終生産は1969年製の992B)、いずれ劣らぬ傑作機を生み出しながらも、そのネーミングはあくまでグレード番号のみというところに、実用本位の硬派さを感じるのは私だけでしょうか。
そんなポリシーの故か、ハミルトンの懐中時計にはハンターケースのモデルが非常に少なく、生産数もわずかです。950にもハンターケース向けの姉妹機である951というモデルがありますが、極めて希少でまず滅多にお目にかかれず、出てきたとしてもべらぼうな値がつくプレミア品となっているようです。
いずれにせよ、ただ規格を満たすことだけで満足せず、妥協を知らずに作り上げられたことをその身で示すハミルトンの高級機。機会があるなら、手にして決して損のない逸品でしょう。
本記事における時計の画像は、吉祥寺のアンティークショップマサズ・パスタイムさんから頂きました。
商品の紹介用に撮影されていたものを、現物の購入とともに使用を快諾していただいたものです。この場を借りて感謝いたします。
Epilogue ―― おまけ
確かに950は素晴らしい機械です。それは事実であり、真実でもありましょう。
…しかし、いくら何でもコレはやり過ぎなんじゃないですか!?さら丼(大笑)
Comments
あっはっはっはー・・・ゲフッ、パタン
一瞬だって輝いたさ!(笑)
# いや、今でもなお輝いてはいるんですが。
でも、この生き方はだめだと思う。やっぱり(w
ジックリと読ませて頂きました!
初心者ですがどうしても言いたくて書き込みさせて頂きます。
スイス製は...
機械もノッペリしていて、どちらかってとパフォーマンス重視。
リピーターとか難しい機工とか....
モノを分かってる玄人の人か、ココがイイ、この機械が珍しい等々、イチイチ説明しないと初心者&素人には良さが伝わりません。
(いや、伝わるかどうか...自分は分かりませんでした)
でも、黄金期(1900年前後)のアメリカ製は純粋に時計としてのクォリティー重視。
このHPを見て、またマサズに行って感じました。
触らせれば質感や、側の化粧彫りでタダモノでない事が伝わる。
本気で良さを伝えたければ、裏蓋を開けて見せる....
そこに理屈や言葉は要らない。
そんな時計ですね!
各ページの画像、素晴らしいです!