Oct.05, 2005

それは曲げられないコード

[Diary]

私が現在使っているPHS(633S)が死にかけています。バックライトが死んだためにディスプレイが非常に見辛くなり、電源ボタンは長押しではなく普通に押しただけで電源が落ちるようになってしまい(しかし電源投入は長押し)、バッテリは一週間も使っていると青息吐息。

修理するのも馬鹿らしいけれど、キャリアが撤退を決め込んでいるので買い替える術もなく、DoCoMoから送られてくるのは携帯電話への乗り換えを促す飴(割引案内)と鞭(サービス停止の脅し)ばかり。では大人しく携帯電話に乗り換えるか?

ところがどっこい。私は携帯電話が大嫌いなのです。

「最先端技術の結晶である多機能デジタル機器」であるなら、ハマる事こそあれ嫌う理由などないように思えるのですが(実際、PDAなんかも結構好きだし)。現実はかくの如し。

なんでだろ、と考えてみると、ちょっと訂正する必要がありました。

私が嫌いなのはデバイスとしての「携帯電話」ではなく、「ケータイ」にまつわるビジネスと風潮なんですね。

第一の理由は、あまりにもガチガチに囲い込まれたビジネスモデルへの嫌悪感。

イメージ優先の強引な煽りや囲い込みによる不自由さ、コストパフォーマンスの余りの悪さから、私が「ケータイビジネス」などというものから受けるイメージは(技術的なものを抜きにすれば)消費者金融のそれとそう大差ありません。

第二の理由は、使う人間のあまりのマナーの悪さ。

いちいち挙げるのも馬鹿らしいくらいですが、無思慮・無自覚に基づく、時間も場所も相手も弁えない無礼さには救いがありません。「ケータイ」なるものを持ってしまうと、それだけで自分が莫迦の仲間入りをするような気がしてならない。

後者の場合、携帯電話でもPHSでも本来違いはありません。しかし、私にとって「ケータイ」という言葉は、そのような無思慮・無自覚を何恥じることのないスタイルそのものであり、だからこそ「『ケータイ』ではない」という意味において「PHSである」という点に拘るのです(何か面倒な話だなおい)。私が「ケータイ」という言葉を決して使わない理由も、誰かに軽々しく「ケータイ番号教えて」と言われた時、「ケータイなんか持ってない」と断る理由も、実はそこにあります。そんな安いもんじゃないんだよ、と。

些細な話ではあるけれど、それが私の曲げられない掟。

というわけで、今後もPHS(非ケータイ)主義を貫くための選択肢はもはやDDI-P改めWILLCOMしかないわけなのですが、丁度新製品が出る過渡期ギリギリに当たるため、これがなかなか悩ましい。

W-SIMなんかにかなり惹かれるのですが、登場は来春だし、最初から私の希望にジャストフィットする保証もありません。その筋で「京ぽん2」として知られる新型AirH`Phone(WX310K)はこの冬には出てくるものの、マニアが殺到しそうで手に入れられるか自信が…orz

でも、こんなこと書いているうちに物欲がたぎってきたかも。

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