それは「仕事」の名に値する仕事か
最近騒がれている耐震設計偽造。韓国の百貨店は云うに及ばず、台湾の地震で倒壊したビルの壁から一斗缶が出てきて建設会社の社長が袋叩きにされたりとかいう事件を連想しますが、もうあれを笑えないなぁ。
もっとも報道自体は、「叩くマスゴミ、出る埃」という連日繰り返されるいつもの構図で「またか」と思っていたものですが。
欠陥住宅の問題は今に始まったことではありません(秋田杉とか)。この問題にしても、個々の事案自体は悪徳業者にしてやられた詐欺の構図と同じで、被害者の方々には同情はするものの、公金による救済は筋が違うと考えます(それが社会的正義のように煽るマスゴミ。正気か?なお、一説によると某大臣の「行政も出来る限りの対応を」発言は、当該物件について某カルト宗教の信者が騒ぎだして(実際に信者が当たったのか単なるお節介なのかは不明)配下の政党が動いた流れとも。事実ならトホホ)。
ただ、個々の悪徳業者の詐欺や手抜きといったレベルをはるかに超えて組織的な構造を持つ点に、今回の問題の注目すべきところがあります。売主は詐欺的商法、ゼネコンは手抜き工事、設計は偽造で検査はザル。これらが全部結びつき、一貫して全ての工程をカバーしています。足りないのは高利貸くらいのもの。しかもそれぞれがそれぞれのパートで甘い汁を吸ってるんだから、これはもう組織というより一種の生態系とすら言えるでしょう。食物連鎖の末端に組み込まれた人にはたまったもんではありませんが。
真っ先に槍玉に挙がった設計士は仕事を貰う為にリベートまで渡していたらしく、偽造の実行犯とは言えど末端の小者に見えます(だからあっさり吐いてるのか)。むしろ問題はあからさまな偽造書類を素通しにした検査機関の方。元々この「指定確認検査機関」という制度自体、「官僚の天下り先確保の為に作られたヒモ付き」という話があるようでは何をかいわんや(それにしても問題の機関は無能が過ぎましたが)。一方、ゼネコンは物理的に短縮できない筈の時間を大胆にカットする「画期的工法」(通常一月かけなければ強度が出ないコンクリートの養生を二週間で切り上げる、等)で名を上げていたようで、これまた確信犯。そして売主はというと、この件が大きくなるまでは時代の寵児のように扱われていた新進デベロッパー。しかし黒い噂も付いて回っているらしく、一次情報が見つからないので眉唾ながら、バックには「政権与党代議士(複数)」「マル暴」「右寄りの団体」が名を連ね、最近耳目を騒がす某ファンドも一枚噛んでいるという指摘があり、それらを抜きにしても資金の流れには不審な点が多いとか。あれ、何だか随分「ありがち」な話になってきましたよ?
ここから先の「ありがち」な展開というと、苛烈に叩かれる末端に尻尾を切って逃げる黒幕、あとは闇から闇へよよいのよい、となるわけですが、果たしてどうなるか。既に元請けの社長が「自殺か」と報じられたりしてますが、まさか消されたんじゃあるまいな?
一気につまらなくなってきたので話題を換え。
結局、目に見えない処、それも専門外の領域でなされる手抜きとなると、一般人にはなす術もありません。個々の職人の意識や矜持によって守られてきたものもスナック感覚の現代では滅亡寸前、今やゆりかごから墓場まで、不安を挙げたら切りがない社会になっているようです。しかし、個々人が全ての分野で瑕疵を判断できるだけの知識を付けるのはおよそ現実的ではない以上、どうにかするなら契約と訴訟によるがんじがらめの不自由な社会システムへと突き進まねばならないのか。私などが幼少のころに見せられた「21世紀」のイメージって、もうちょっと希望に満ちていたような気がするんだがなぁ。
今回の建築に限らず、クルマ、医療、食品、航空、経営、原子力、そんでもってコンピュータシステム。あからさまな詐欺は論外としても、どれも「手抜き」「誤魔化し」というキーワードを持ち、指弾された者の大半が隠蔽や責任回避に動いている(そして問題をより悪化させている)点が共通していることは象徴的です。つまり根っこは皆同じ。最後はやはり個々人の意識や、不正を強要する組織の問題に還元されるように思います。
集団的無責任があらゆる分野に横行する昨今、「恥を知れ!」という言葉にどれほどの力があるのかは疑問ですが、それでも自分の仕事に胸を張れるだけの矜持があれば、こうした問題の土壌は自ずから除かれるように思います。仕事なら胸を張ってやって頂きたいものですね(「詐欺が仕事」と開き直ったら逮捕でしょうが(笑))。…というのも所詮は理想論か。
とはいえ、自らの仕事に矜持を持ち、妥協のない仕事を貫くことのいかに難しいことか。翻って、自分の仕事に胸を張って自慢できるものがどれほどあったろうか?と考えると、なんとも忸怩たる気分になります。
さて、皆さんは「仕事」をしていると胸を張れますか?単なる「作業」でなくプライドを持てる「仕事」を。
「yes」と答えられる人を、私は羨望してやみません。