Feb.08, 2006

Waltham Vanguard(Railroad approved)

[Watch Collection]
Waltham Vanguard M#1899, 23J, GJS, DES, OF

まだ私が右も左も判らなかった頃、ネットオークションで落札した品です。

いかにも鉄道時計然としたスタイルに惹かれて落札しましたが、その姿は今手元にある状態とは違います。ケースを交換しているわけですが、別に伊達や酔狂でやっているわけではなく。

オークション落札品の常として、ツッコミ処満載であったこのヴァンガード。今回はそのレストアの過程をご紹介します。

概要

落札時の状態。ホワイトゴールド張りの鉄道時計ケース。

落札直後のムーブメントの状態(上)と整備開始直前の拡大画像(下)。

モデル1899のヴァンガードです。シリアルから1901年製と推定されます。

鉄道時計の要件に則り、オープンフェイスのレバーセット。ハンターケースの方を先に所有していたので気付くのが遅れましたが、こちらが本来のヴァンガードの姿です。ウォルサムの鉄道時計のラインナップでは最上級に属するグレードですが、その生産数と金張りケースとの組み合わせの多さからか、他の高級機に比べれば相場も安価なようです。ハミルトンの992あたりと並んで、初めてアンティーク懐中時計を購入しようと言う方にもお薦めの一品。

一口にヴァンガードといっても細かい仕様の違いはいくつかありますが、この個体はゴールドトレインにゴールドシャトン、ダイヤモンド・エンドストーンを備え、レギュレータの星形ダイアルも金製という仕様。

文字盤はサンクダイアル。ポーセンリンではなく金属製のようですが、ぎらついた彫金ではなく梨地調の落ち着いた仕上げになっています。針はブルースチール。

素性は良いと言えると思いますので、整備して完調に戻ればコレクションとしても良い一品になると思います。

さて、落札の時点で判っていた問題は、テンプの受石留めのネジの頭が欠けていること。どうせ整備に出さなければいけないのは判っていたので、その時にネジを交換して貰えばいいだろう、とたかをくくっていた訳ですが…甘かった。orz

整備の見積もりをお願いしたところ、次から次へと問題が噴出するわけです。

実は根本的な問題

予め判っていたネジの破損。ネジ自体は交換すれば済むのは間違いありません。

ケース裏の接触痕を重ねてみると、破損箇所付近にかかっているのが判る。

破損したネジ(上)
交換後(下)

「しかし、問題は何故この場所のネジが痛んだか。その原因を突き止めないとせっかくの修理が無駄になりかねない」との指摘に、短絡的な自分の思考を反省。

その上で改めて調べると、ケースの裏蓋、その内側に、不自然な円弧状の擦り傷が見つかりました。写真を画像処理ソフト上で重ねてみると、確かに傷がネジの破損部分付近にかかっています。

つまり、この破損の原因は、そもそもケースがムーブメントに合っておらず、蓋の締め付けの際にケースがムーブメントに干渉した可能性が高いということです。だとすると、このケースを使う限りは同様の破損を引き起こす可能性があるわけで、交換するケースの当てができてから修理を始めた方が良い、という事になりました。

その後ケースの当ても付いたので修理開始。ネジの交換自体はすぐに終わりました。

アンティーク時計は、常にオリジナルの状態で使われてきたとは限りません。しかし、ある程度の規格化が進んでいたアメリカの時計でさえ、取り替えられたケースやムーブメント、風防の高さなどの組み合わせは常に合致するとは限らない。出所の不明なアンティーク時計を相手にするならば、まずそこを確かめるところから始めなければならない。今回の件は、そうした教訓を得る機会となりました。

歪みが歪みを呼ぶやっつけ仕事の末路

さて、その他の問題はどうか。実は、とんでもない問題が潜んでいたのです。

動かしてみてテンプの振りがイマイチなのは判っていましたが、この機械時計の心臓部とも言うべきテンプ周りにいくつもの問題がありました。

正常なヒゲゼンマイ(右)と、巻き数が減っている(短くなっている)ヒゲゼンマイ(左)

まず、根本的にヒゲゼンマイの長さが違っていまいした。「巻き上げヒゲだし、サビもなかったし」などという問題ではなかったのです。元々こうなっているヒゲゼンマイを使ったのか、切れたヒゲゼンマイを巻き上げ直したのかは不明ですが、本来あるべき状態でないことだけは確か。

ともあれ、ヒゲゼンマイの長さは振り子の長さに相当し、時計が時を刻む振動の周期という根元的な部分を規定する要素です。それが狂っているということは、時計自体がその狂った状態を基準として調整されている可能性があり、全体のバランスから疑ってかかる必要がある、と。

ホゾの磨耗した天真。
取り外したところ、天真は焼き戻しによって青黒く変色。下に映っているのは比較のために並べたホゾの折れた同型の天真。


天真の製作。組み込まれていたものがアテにならないため、同型機の天真を参考に現物合わせで製作。

そして、天真を観察すると、磨耗の他にも変色が見られます。これは、加工を容易にするために焼きを戻した跡だそうです。既製品の天真を加工して合わせる際にはありがちなやり方とはいいますが、目先の加工のし易さのために材料の強度を落としているのですから本末転倒もいいところ。これは交換しなければなりません。

というわけで、ヒゲゼンマイの交換、併せて天真の交換となりました。…どころか。


ハブの損傷した天輪(左上、左下)と正常な天輪(右上、右下)

交換のために天真を抜き取ったところ、天真をカシメ付ける天輪のハブがガタガタになっており、そのせいで穴の中心がブレているというのです。つまり、合っていない既製の天真を焼き戻して加工した挙げ句、いい加減に打ち込んだ事で天輪の中心まで歪める結果となっていたわけです。天真の精度がどんなに良くても、取り付けの中心がズレていてはまともな動作は望めません。

結局、ストックから同型の天輪を提供して頂いて交換することに。事実上、テンプ周りの総取り替えといっていい内容となりました。

組み上げられたテンプの調整。この片重り取りの他、振れ取りも行われる。

さて、テンプをここまでいじり回してあるというのも大概なものですが、事はそれだけでは済みません。テンプ受けを分解してみると、その下に謎の傷跡が。


抉ることで嵩上げのための細工をされたテンプ受けと地板(左上、左下)と修正後(右上、右下)

実はこれ、テンプ受けをこの傷の盛り上がりによって持ち上げることでホゾのアガキ不足を誤魔化した跡なのだそうです。テンプ受けと地板の間に紙を挟む例もあるそうですが。

これらの状態から推定するに、間に合わせの加工を施した既成の天真をいい加減にぶち込み、合ってもいないヒゲゼンマイを取り付けた挙げ句、不足した天真のアガキを受けの嵩上げで誤魔化した、ということのようです。

傷によってささくれ立てられた部分を削り落とし、本来の噛み合わせに戻します。

組み立てと調整


洗浄。刷毛洗いで大きなゴミや汚れを落とし(上)、超音波洗浄機でさらに細かい汚れを落としていく(下)

幸い、歯車の磨耗や変形、石の割れといった問題はありませんでした。

全ての修理が終わったところで、あらためて分解洗浄と組立・調整が行われます。

機械に接触していたWGFケースは、YGFのスイングアウトケースに入れ替えられ、ちょっとした面倒はありますが、スイングアウトというギミックが楽しい時計に生まれ変わりました。アメリカ鉄道時計というと年月を経ても色褪せない陶製文字盤が多い中、わずかにくすんだ色合いの金属文字盤は微妙なレトロ感を感じさせてくれ、味わいがあると思うのですが、どうでしょうか?

組み立てられた輪列(左)と文字盤下の状態(右)
文字盤のアップ(左)とスイングアウトされたムーブメント(右)

まとめ

本当は前回の19セイコーの修理よりこちらの方が早かったのですが、無精がたたってずるずると遅れてしまいました(苦笑)。どっちも大修理ですが。

実感したのは、やはり「オークションは博打である」ということ。解像度などたかが知れている画像の数枚程度で全ての状態を見抜くことなど、プロであっても不可能です。見えないところ、例えば文字盤下の石が割れているなどといった問題は、実際に分解でもしなければ判るものではありません。


ウィッチで見る整備前の精度(左上、左下)と整備後の精度(右上、右下)。ディスプレイの左上に出る歩度、右上の振り角、そして中央にプロットされる線の形に注目。「調子良く動いています」などという出品者のコメントとは裏腹に、その性能を全く発揮できていないことがよく解る。

精度にしたところで、「合っています」「良い時を刻んでいます」なんて言葉は全く当てになりませんし、整備済み、オーバーホール済みという言葉も怪しいものです(過去に、ゼンマイを一杯に巻いても5分と持たずに止まってしまうような「オーバーホール済み」の品に当たったことがあります。この時は返品が成立して事なきを得ましたが…)。

私は、決してオークションによる取引自体を否定するものではありません。自らの目利きと運を頼んで競り勝ち、良い物を掴み取ったときの喜びはひとしおでしょうし、そもそもアンティーク時計自体、欲しいと思って金を積めば望み通りの品が手に入るようなものではない以上、個人であってもチャンスを掴める可能性のあるオークションというのは有用な存在です。その点は私も認めます。

ただし、そうしたメリットが成立するには、リスクをきちんと認識し、納得していることが大前提となります。間違っても、「よく判らないけどお金も惜しいので良い物を激安でゲットしたい」などと虫の良い考えの下に手を出せば、いずれ手痛い目に遭うでしょう。

例えあからさまな嘘はつかなくとも、見えない(往々にして質の悪い)不具合に触れることなく出品されている例は枚挙に暇がありません。特に、機構がシンプルで頑丈なアメリカ製の懐中時計は、(精度を別にすれば)多少の問題があっても動いてしまいます。時計は精密機械だから問題があれば動かない、というのはある意味正くはありますが、「動いている=問題なし」という図式は成り立たないことは覚えておいて損はないと思います。

今回のヴァンガードにしても、落札額に数倍する修理費をかけて、ようやく完品と呼べる状態になったわけですが、かかった額を考えると普通にショップで買ったのと大差ありません。ただ、こうした問題点の存在やその修理内容を通じて時計への理解が深まったことは確かで、授業料と考えればまだ納得はできます。しかし、全てが最初から判っていれば手を出したかどうかは微妙なところです。

アンティーク時計は嗜好品です。それが気に入って自ら手を出してみようという気になったのなら、少しでも勉強しておくと格段に幸せになれます。私ももっと勉強しなくてはなぁ、と思います。

別に、肩肘張って「勉強」と身構えようとは思いません。趣味を趣味として楽しむため、自分の好きな物をもっと知りたいなという素朴な気持ち。それを抱いて相応の努力さえしていれば、いずれそれが得難い経験となってくれるのではないかと思います。

本記事における時計の画像の一部は、吉祥寺のアンティークショップマサズ・パスタイムさんから頂きました。この場を借りて感謝いたします。

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