Aug.24, 2006

惑うもの

[Diary]

アストロアーツのサイトなどで経過を追ってたりしてたんだけど、紆余曲折の末、国際天文学連合(IAU)は冥王星を惑星の定義から外すとの決定がニュース速報で流れた。

情緒だの文化だジャスティス王朝の威信だと散々もつれはしたものの、最終的に採られたのは一番単純明快な定義だったということになる。その結果として冥王星が定義から外れた、と。

個人的には、この定義は科学者の良心に従ったものと言っていいのではないかと思う。ここで下手に妥協して曖昧さを残せば、観測が進めば進むほど惑星が際限なく増えて行って収拾が付かなくなるのは自明。それに、この程度のことは地動説にまつわる歴史的な騒動に比べれば何ほどのことか。冥王星を惑星から外せば宗教裁判で火炙りにされる、というわけでもあるまい。

技術が進み、観測を重ねた結果、認識が改められた。つまりは、それだけのことなのだ。しかし、それまでの認識や固定観念を改めるといっても、言うは易く、行なうは難し。

問われるのは、謙虚さと筋の通し方ではないかと思う。筋道立った明快な論理で自らの足元を再検証し、それまでの観念に合わなくとも、その結果が受け入れられるかどうか。

それを曲げて事実を無視すれば、人がそれまで累々と積み上げてきた失敗の歴史がまた一ページ、という按配なのだが。

そうした経緯や過程まで含めて考えれば、結果的に惑星であろうがなかろうが、「冥王星」という名が辿った紆余曲折には立派な価値があると私は思う。

そういえば、IAUの総会はプラハで開かれているそうだが、ここの天文時計(1410年製)はなかなか格好良いデザインをしている。天動説時代の発想で作られたものではあるけれど、偏芯した二重の文字盤に天文のシンボルをあしらった意匠は実に神秘的。某マンガに登場した懐中時計型航時機のデザインにも使われたというのも解らないではない。

とまあ、ふと天文宇宙に意識が向いてきたので、今度「プラネテス」でも観直そうっと。

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