Sep.17, 2006

つけて、たたく(違)

[Diary]

どうしてもこのフレーズが思い浮かんでしまうあたり、CMの洗脳力ってすごいにゃー。

…いや、薬用紫電改じゃなくて、紫電改(N1K2-J)の話なんですが。

近代以降の軍事絡みで郷土に縁がある有名どころというと、村田蔵六に秋山真之、そして三四三空こと海軍第三四三航空隊あたり。その三四三空が装備していたのが紫電改。

それが南の町で展示されているので、嵐の来る前にちょいと行ってきました。海没した機体が引き揚げられた場所を望む山の上にあります。

台風は海の向こうの九州のさらに反対側だが、それでも雲行きは嵐の前。実際、この後数時間で嵐に突入。
引揚げ点の周囲。高野長英設計の砲台とかいうのがあるが、何かあるんだろうか。空き地に石碑がひとつという光景が見えるようだったので見には行かなかった。


展示されている紫電改。墜落(不時着水?)したものを引き揚げたので、プロペラがひん曲がっていたり。

30年以上海の中にあったので、損傷が激しい。それでも旧川西(新明和)の関係者の手で、洗浄と再塗装を行っている。

マニアックな解説はその方面のサイトに譲って、大雑把に。

川西(現・新明和)が開発した、水上機を原型とする紫電。それをさらに大改修してほとんど別物になったのが紫電改。カタログスペックとして突出した記録は持たないものの、性能のバランスは高いレベルで取れており、燃料タンクの防弾化や炭酸ガスによる自動消火装置、無線機、自動空戦フラップといった装備が充実していたのが特徴。

これを集中配備すると共に練度の高いパイロットをかき集め(とはいえ、全体からすればベテランの割合はせいぜい三割程度)、無線による管制と集団戦術の導入で大戦末期の劣勢の中で敢闘した三四三空はマニアならずとも知る人も多い名前です。

展示の機体は三四三空所属の一機で、終戦まで一月を切った7月24日の戦闘で未帰還になった6機のうちの一機とされています(特定できないので、操縦士の遺影は6人分添えてある)。戦後33年経ってから発見されて翌年引揚げられ、当時は注目を集めたそうです(引揚げ取材のヘリが墜落して死人まで出たため、オカルトじみた因縁を囁かれたこともあったとか)。

それで原型を留めていたのは奇跡的であるにせよ、30年以上も海中にあったためかなり損傷しており、洗浄して再塗装されたとはいえ、状態は決して良くはありません。しかし、国内に現存する紫電改はこれ一機のみ。完全な機体はヤンキーが調査のために持ち帰ったものだけで、こちらはデントンの空軍博物館とスミソニアンにあるそうです。

見上げる機体は意外と大きく見えます。超々ジュラルミンの外皮は虫喰いのように綻び、反対側から入る光まで見えてしまうほどですが、それでも「実物」の持つ迫力か、名状しがたい重厚さが感じられるようです。

周囲の展示物は基本的に機体内部から取り外されたものですが、その上を飾る旧海軍や川西関係者の記念写真の数々にも感慨深いものがあります。撮影の時点ですら戦後30余年、今となっては鬼籍に入られた方も多いでしょう。…なんかさり気に「源田司令」とか書いてあるぞこれ。展示開始から5年も経たずに亡くなったはずなので、最晩年のスナップか。

なかなか感慨深い展示ではありましたが、地元以外でこれだけのために四国の最果てまで来ようという物好きはヲタクと呼ばれる者にすらそう多くはありますまい。地理的にどん詰まっているのでアクセスが悪すぎる上、これ以外に何もないというのがどうにもこうにも。大和ミュージアムの側あたりならまだ救いがあったんですが。

ゴムで被覆された防弾燃料タンク。
無線機。96式の後継。
水銀とチェックボールによる流体圧力に電位差を微分した値を計測、駆動系に情報電位を搬送することで、旋回Gに比例し、速度の2乗に反比例した角度でフラップを自動操作する(Wikipediaより)という自動空戦フラップ。右側に並んでいるのは真空管。この時代に、電子回路で動翼を自動制御していたとは驚き。当時としては画期的な装備だったが、零戦以来のヴェテランは、これに頼らず同等のフラップ操作を行って空戦をこなしたという。
供え物。漢詩、花、酒(江田島銘醸「同期の桜」)あたりまではいいが、この小銭の山は一体。賽銭あげる対象とは違う気がするんだが……

ひとしきり堪能したので、嵐が来る前に退散。

帰路、やけに車が一杯入っていたうどん屋があったのでふらりと突入。悪くなかった。

一見何の変哲もない肉うどんだが、ほのかに甘く仕上げられた出汁が良し。

…とまぁ、そんなドライブ。

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Comments

From :しんし : 2006年09月18日 22:54

 いやー、これは良いね。一度見に行きたいもんだ。しかし人いないね。ひょっとして客はみなせ丼ひとり?
 あと、この程度の損傷なら河口湖自動車博物館にもっていけば、レストアしてくれそう。あそこには「誉」もあったし。

From :PsyonG : 2006年09月27日 00:33

是非いらはい……と言いたいところだが、世界の果てにあるのでなかなか厳しい。大和ミュージアムやら陸揚げ潜水艦やら見物しに呉界隈を巡るなら、そのついでに日程を一日膨らませてどうにか、というところじゃないかなぁ(それでもキツいか)。

さすがに休日だったんで、私以外に二組くらい覗いて行きました。すぐ出て行ったので事実上私一人と言ってもいいけど(w

動態保存を目指してるわけでもなし、予算もあるまいしで、これ以上機体に手が入る可能性は低そうですが…。