Sep.26, 2006

日本のロケットの明日はどっちだ

[Diary]

時間があるよーな、ないよーな。時間そのものはあるのに、てんで有効に使えていないということか。

東京出る前に買い漁ったライトノベルの積読とか、田舎の本屋に絶望してAmazonから買ったのが残ってるんだけど、こっちを先に読む。

宇宙へのパスポート(3)宇宙へのパスポート(3)
笹本 祐一 松浦 晋也

朝日ソノラマ 2006-08-05
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ライトノベルなんて言葉がなかった頃から散々楽しませてもらっている、その方面の嚆矢とも言える作家が何を間違ったかロケット野郎になってしまい、世界の宇宙開発を追いかけるようになった取材紀行。その三巻目。

取材の対象自体は近年のロケットあるいはシャトルの打ち上げなんだけど、段々著者が場慣れしてきているというか、スレてきたというか、ヨゴレてきたというか(笑)。第一巻のような活劇じみたドタバタからは微妙に変化し、なんか見えない方が良いようなドロドロに嫌が応にも気付かされて暗澹たる気分になるようなシーンが増えたような気がする。そうした視点の変化を追うという意味と、同じ説明を何度も繰り返すような過剰サービスはしていないので基礎知識を復習するという意味で、一巻~二巻も読み直しながら全体を通読してみるのが吉かと。

ロケット取材とはいっても、その運行スケジュールの脆弱さは武蔵野線の比ではない。カウントダウンのストップどころか、延期、中止は当たり前だし、そもそも打ち上げ自体、常に成功とは限らない。幻のエルクを求めてハンティングしてるようなもんで、とても観光気分で追えるようなシロモノではない。それを追っかけて世界を飛び回るバイタリティにまず脱帽。そして、「折角ここまで来たのだから、これを観ずばなるまい!」とばかりに、タイムスケジュールの隙間を縫った航空宇宙関連施設巡りも、それだけで好き者には堪えられない紀行文として楽しめる。様々な博物館もさる事ながら、ロシアではコロリョフ邸まで行って他ならぬコロリョフ婦人に案内してもらうとか。著者達はロシア語の素養がない事に地団太を踏んでいるが、英語すらロクに扱えない身にしてみれば、もはや雲上のお話。ううむ、英語身につけたいなぁ。インストーラでちょちょいと脳に書き込んでくれる機械ないかしらん。いやマジで。

生の取材もさる事ながら、宇宙開発を行う各国がどういう戦略の下、どのような技術体系を用いてどうやってきたかを解説するコラムも興味深い。

一見最強っぽいアメリカも政治を向いて動いているようでは先行き怪しいと一刀両断。欧州は手堅いが冒険はせず、ロシアはソ連崩壊から続く諸々の余波で技術の継承に不安があるという。

ロシアの問題は、技術を文書化せず個人に集中するという伝統によるもので、スピーディな意思決定の代償であるというが、これはどっちかというと共産主義政権時代の保身術が根源なのではないだろうか。共産主義国の組織の中で自分のポスト(と権限)を守るには「こいつがいないと計画が進まない」という価値を自分に付加するのが効果的だし、それを口伝にしていけば派閥だって組める。影響力を増せば、国家の機関を意のままに操り、野望実現に邁進する事も不可能ではない…とまぁ、そんなところではなかろうかと。

注目株は中国とインドで、特に中国は、打ち上げ失敗による大惨事をきっかけに「粛正」(その苛烈さと徹底ぶりを強調するなら敢えて「粛清」としてもいいかと思う)と呼ばれるほどの人事異動が行われた結果、順調に開発が進むようになったという。独裁的・強権的な運営が、この時ばかりは良い方向に働いたらしい。

このように、国家規模の予算がないと手すら出せない宇宙開発だけに、それぞれの事情はあるとはいえ、そこには国家として「何のために」開発を行うのかという目的・戦略が背景にある…はずなんだが。

ところが、我等がニッポンにはそんなもんは、ない。世界トップクラスの経済力を持ち、世界一線級のロケットを設計・製造・運用する技術があり、人材だってないわけじゃない。しかし、肝心の金と組織を握る政治屋とボンクラ役人の無定見さが全てをぶち壊しにしている。自由主義国家でその辺について間接的にアプローチできる可能性を持つ筈のメディアはというと、公式発表のパススルーか、取材前から決め付けた自分の「結論」を書く事しか能がない。そのお粗末振りは「一度も報道としての訓練も教育も受けてない作家がほんの数年その分野を追いかけただけで、本職の記者よりもその分野に詳しくなってしまう日本ってなに?」という表現が端的に示している通り。そんな条件のもと、現場が好む好まざるとに関わらずプロジェクトXをやる羽目になっているのが日本の宇宙開発、というのが通読しての私の認識。

降りかかる困難、努力、根性、そして起死回生の奇策。「これは(中略)男達の、ドラマである」と最初から銘打ってるならそれもいいが、しなくても良い苦労を背負い込ませるのはプロジェクト・マネジメントとしては害悪以外の何物でもない。つまるところ、戦略レベルの大失敗を戦闘レベルでどうにかしろ、その戦闘も負けが込んできたから乾坤一擲の賭けに出ろといったところ。やはり、大本営から連綿と続く悪しき伝統、その系譜に連なっているということなのか。

先日打ち上げを成功させながら以後の開発を打ち切られたM-Vロケットにしても解り難い。課題はあるものの、世界最大にして最高レベルの性能を持つ固体ロケットとして実績を挙げており、しかも小型衛星の低軌道打ち上げならばH-IIより適当なケースも少なくないM-V。それを敢えて(大きな問題である打ち上げコストは、改良に100億ばかりかければほぼ半額にできそう、という見通しが示されているにも関わらず)打ち切るだけの理由はいかにも後付けくさく、「まず結論ありき」的な官僚主義のスメルが。関係者が公式にそれを批判することはないけれど、その会見での受け答えも帰って痛ましく見えてしまう。今日内閣が替わったとはいえ、この辺の科学技術政策がまともになる事はまずあるまいなぁ。

帯のアオリは「日本の、そして世界の宇宙開発に未来はあるか」。もちろん、日本の宇宙開発に未来はあると思う。ただし、それが明るいか暗いかといえば雲行き怪しいと言わざるを得ないけど。とどめ色の未来の中で現場の地と汗と涙がキラリと光るヘッドライト・テールライトか。

暗澹たる気分にはなるけれども、せめて興味を持って見守り続けないとイカンと思う。

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