Waltham '72 Model(Prologue)
「72」という数字を見ただけで動物的に反応してしまう駄目人間の皆さん、コンニチワw
当サイトが久方ぶりにお送りする今回の懐中時計紹介記事として、ウォルサム懐中時計史上でも特筆すべきすべきモデル、'72 model(以下'72)をお送りします。
天才的な技術者達が、さらなる高みを目指して作り上げた一品を存分に堪能するためにも、まずは'72がどのような背景から誕生したのかを順を追って解説していきます。出典は"The American Watch Company 1872 model"(Phillip J, NAWCC BULLETIN No.304(Oct. 1996))から。
それでは、しばし前置きにお付き合い下さいませ。
Historical Background ―― 時代背景
19世紀中盤からアメリカに誕生した時計産業は着々とその技術レベルを上げてきましたが、その分、より高度な要求に応える必要が出てきます。その際に問題になったのが、当時の大多数の懐中時計が採用していた「鍵巻き」「鍵合わせ」という方式でした。
これは文字通り、機械に直接鍵を差し込んでゼンマイを巻いたり針を合わせたりするという、柱時計と変わりないやり方ですが、これは様々な問題を抱えていました。その最たるものが、ゼンマイの巻き上げや針合わせという日常の操作のたびに機械にゴミや埃が侵入すること。
大きなゴミが歯車に挟まって止まるような例は極端としても、視認の難しいミクロダストのようなものでも時計にとっては立派な脅威。精度を乱し、摩耗を進める原因となります。機構そのものをどれだけ精密に設計しても、ゴミや埃で止まってしまっては意味がありませんし、まめに分解掃除をすると言ってもその手間と費用も馬鹿になりません。いかにして機械をゴミや埃から守るかというのが、当時の大きな課題でした。
いかに技術が進んだとはいえ、時代は未だ19世紀。アメリカでは南北戦争や西部開拓、日本では黒船来航とか維新回天とか騒いでいた時代です。人々が携える懐中時計もまた、しばしば過酷な地を超えることになります。それでなくとも、市街地の大半が舗装されている現代とは全く環境が異なることには留意する必要があります。
しかも、鍵合わせという方式には別の問題もありました。文字盤側から直接鍵を針に接続するという方式の場合、針や文字盤、ガラスを破損する危険と常に隣り合わせになるという問題です。
針合わせの要求頻度は機械の精度次第としても、ゼンマイだけはほぼ毎日巻き上げる必要があります。今日のように懐古的な嗜好品として見た場合なら「まきますか?」という行為に何らかの意味づけをすることもできるでしょうが、実用品として見た場合にはリスクとストレス以外の何物でもありません。
そして何より根本的な問題は、そもそも「鍵がないと操作できない」ということ。掛け時計ならケースの中に収納すれば済みますが、懐中時計ではそうもいきません。そして、鍵を失くすともはやゼンマイの巻き上げも針合わせもできなくなるのです。
今回参照しているNAWCCのレポートはイギリス人の執筆によるものですが、こうした鍵巻きの問題点をひとつひとつ解説しながら、最後に"And all this if you hadn't misplaced the key!"(もっとも、それも全て、貴方が鍵を置き忘れていなければの話だが!)と結んでいるあたり、いかにもイギリス人らしい皮肉を感じます(笑)。
つまり、'72が登場する背景には、懐中時計はとにかく精度を追求する段階から日常的な使い勝手に目を向ける時期に差し掛かっており、鍵巻きに代わる新たな方式が求められていた、という事情があったというわけです。
Nashua Watch Company ―― 幻の時計メーカー
ウォルサムの時計の話をするのに、いきなり違うメーカーの話が始まるのは奇異なことかも知れません。しかし、'72のことを解説するのに避けては通れない点でもあります。
ナシュア・ウォッチ・カンパニー(Nashua Watch Company)は、1859年にニューハンプシャーで創業したメーカーです。その活動期間は僅か三年にも満たなかったにも関わらず、アメリカの時計技術史において「最も先進的で創造的な技術者を擁し、極めて高品質な懐中時計を製造したメーカー」と評されています。
とはいえ、大半のムーブメントは未完成に終わっており、ガイドブックの紹介によると確認されている完成品は僅かに4つ。その真価を見定めることは容易ではありません。そうした意味では、ほとんど伝説の存在と言っても過言ではないでしょう。
そのナシュアとウォルサムには浅からぬ関係があります。
ナシュアの立ち上げに参加した技術者の多くは、より素晴らしい(懐中)時計の完成を夢見て、ウォルサムから飛び出した人々でした。
しかし、ナシュアの経営は1862年に破綻します。原因には諸説ありますが、南北戦争を遠因とする短期資金のショートや、当時最先端の精密機械である時計製造の技能を持つ労働者が目を付けられ、高給をエサにスプリングフィールド造兵廠に引き抜かれたりといった要因が積み重なり、ムーブメントの開発段階から本格的な量産に移行することが出来なかった、ということのようです。
そのナシュアを買い取ったのがウォルサムでした。ウォルサムは、一度は自らの体制下を離れた気鋭の技術者集団とその開発成果(製造途中のムーブメントを含む)を手に入れたことになります。
ナシュアが開発したムーブメントは鍵巻きながら巻き上げ、針合わせを共に背面から行う方式で、その時期としては相当に進歩したものでした。
ウォルサムの経営陣もその価値を認めていたようで、製造途中のナシュア製ムーブメントを完成させて自社製品("Appleton Tracy"等)として販売するだけでなく、買収したナシュアの技術者達を「ナシュア部門」(Nashua Department)として開発を行わせたり、といった施策を実行しました。かつて自社を飛び出した技術者達を再び迎え(無論、それをよしとせず他社へ移籍したり、新会社の立ち上げに動いたりしたメンバーもいたようですが、今回は割愛)、今度は破格とも言える扱いで抱え込んだわけで、ナシュアの技術力を讃えるべきか、ウォルサムの決断力を褒めるべきか悩むところです。
そして、そのナシュア部門の責任者こそが、後に'72の開発を担ったCharles V. Woerdという人物なのです。
Nashua Department ―― ウォルサム ナシュア部門の挑戦
前述の「鍵巻き・鍵合わせ」という方式に起因する問題は、当然米欧の時計メーカーも認識しており、その解答として竜頭で巻き上げや時刻合わせを行うという方式も考案されてはいました(パテック・フィリップは1845年に竜頭巻き・竜頭合わせの特許を取得しています)。
しかし、その量はほとんど一品モノといっていいほどの少量にとどまるか、あるいは標準的な鍵巻き型に後付けで竜頭巻き機構を追加したものでした。
'72を市場に送り出した当時のWalthamですら、長らくの伝統であった18Sフルプレートの'50 modelや18Sの'70 modelに竜頭巻きのオプションを提案しているあたりに、まさにこの時期が鍵巻から竜頭巻きへと進化しようとする過渡期であったことを見て取ることが出来ます。
では、ウォルサムの一部門となったナシュアはこのテーマにどう取り組み、'72を生み出すことになったのか。
1869年には機構設計の責任者となっていたWoerd氏は、'70 model"Crescent Street"で巻上げと針合わせを共に背面から行う鍵巻きムーブメントの設計を行いました。これにより、少なくとも問題の半分である針合わせ時の破損リスクはほぼ排除できたものの、鍵穴からのダスト侵入という問題は(ある程度緩和されたとはいえ)依然として残ったままでした。
それでもその利点から、3/4プレートの鍵巻きムーブメントの多くはこれに倣った方式となっていくものの、要求の厳しい鉄道時計に適合するよう立ち上げられたモデルとしては、未だ完全とは言い難いものでした。過酷な環境下で精度を維持すする為には、やはりケースを密閉したままゼンマイの巻き上げを行う必要があったのです。
そんな状況と相前後して、ウォルサムは'68 modelあるいはseries“H”と呼ばれるモデルを発売します。このモデル(正確にはそのうち後期の一部で、鍵巻きのものもある)は'60 modelに竜頭巻き機構を追加したものではあるものの、竜頭巻き機構を備えた懐中時計を量産品として販売した、という点では他社に数年先駆けたものでした。
しかし、竜頭巻きの'68が製造されたのはごく短期間でした。より近代的なモデル、すなわち'72が企画されていたためであろう、という見方には一定の説得力があります。'72はその発売後、20年以上にもわたるウォルサムの名声の象徴となっていったからです。
とはいえ、そんな'72も最初から完璧な状態でデビューしたわけではありません。
当時、新型の時計を製造するためには膨大な時間と労力、そして費用を要しました。量産モデルにおける竜頭巻き・竜頭合わせの嚆矢となった'72においては、当時革新的だった竜頭合わせ・竜頭巻き機構のために20前後の部品が必要となり、その製造に要する何百もの研削工程のためには工作機械の設置すら必要となりました。
そして、さらなる精度の追求と生産性の向上のため、'72はその仕様に大小様々な変更が次々と加えられていきます。そのバリエーションは驚くほど多く、マニア泣かせではありますが、その成果は多くの普及型にも大いに活かされ、精度や信頼性の向上、そしてコストダウンに繋がっていきました。このサイクルこそが時計メーカーとしてのウォルサムの名声を確固たるものとした要因のひとつであり、その先端を拓いた'72の存在が特別なものとされる所以でもあります。
と、ここまでが前置きです。これを踏まえ、またこれまでにご紹介した後年の時計と比較してながらご覧頂ければ、また違ったものが見えてくると思います。
Comments
呼んだかね?w
それはさておき誕生日おめでとう。
また一歩、ワシらの倶楽部に近づいたようで実に目出度い。
しんし丼コンニチワ。
つーかアンタF91の信奉者じゃなかったんかいwww
私が一年くらい近づいた所で汝等は通常のザクの三倍のスピードで逃げていくことになってるので心配無用!w
冗談はさておき、南北戦争のウラあたりにはこんな話もあったりしたんで、楽しんでくださいまし。
イギリスからの資金流入による鉄道バブルとか、面白そうなネタもあるんですがイマイチまとまってない。